百名山暖簾

昨日はちょっと外に出ただけで、電車にすら乗らなかった。出ときゃよかったなどと今更なげきつつ、カレンダーに目をやる。
今日含め後3日・・・。
ほんと、小中高の学生時代、節目節目の最後の春休みの終わり間近を思い出す。小学時代は中学の制服を着ていくというのにやたら抵抗感を感じていたし、中学時代は知らない人ばかりの高校ということでそれなりに親しくなれる友人ができるか不安だった。大学に関しては良いサークルに入れるかとか、勉強ついていけるのかとか、何より浪人していた負い目があり凄くそれが気になって不安だった。結局のところどれも最初はぎこちなさが残ったがそれなり溶け込めることが出来たと思う。でも今回ほど不安になったことはそうもない。これが学生と社会人の差なのかな?なんて思いつつ、見えない先を一生懸命見据えようとして情緒不安定になっていく自分がはっきりとわかるのだ。
こんな時から悩んでもしょうがない。
よく周りからそう言われる。その言葉には、咎める口調であったり、楽観的であったり、同じ気持ちなのに不安を隠そうとしたりと様々な感情が交錯している。そんな中、自分は純痔さんと多分似たような症状なのだと思っている。マリッジブルーならぬ就職ブルー。それぞれに課せられた、もしくは自分自身で課している重荷は人それぞれだけど、その重荷を始まる前から背負い、無理矢理耐えようとする・・・それが今の自分なんだと思う。自分は他の人より明らかに劣っている自覚はある。苦手なものは避けてきたし、嫌いなものには触れることすらしなかったのだから。だから気負ってしまうのだろう。あらかじめできるようにしておかなければ・・・とか、失敗したくない・・・とか、とにかく悲観的に物事を考えるクセは昔から抜けてないのが何よりの証拠。
大丈夫。
こんな話をすると大抵周り、特に親にはこう言われる。そう言われるたび、楽観的だなと良く思っていた。でも捉え方がひねくれていたね、自分。相手言いたいこと、言葉の裏までは読み取ることが出来なくても、相手は少なくとも自分を突き放しているわけでもないし、根拠も無く大丈夫だと言っているわけない。要は自分のこの考え方が良くないと諭していてくれたんだなと、最近ようやく思えるようになった。決して分かっていなかったわけではない。自分の心が無意識に否定していたのだと思う。
結局のところ・・・
何事も始まらなければ何も見えないんだから、ちょっとだけでもいいから見えない前をみるのはよそうと考えた。まだこの不安の出口は見つからないが、せっかく最後の春休みなんだから、今だけは目一杯遊ぶことだけ集中しよう・・・・・・などと朝っぱらから重苦しいね自分orz